どういう視点で相手を見るのか?

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課長が、わ~焼き芋屋さんの声が知り合いに似ている~と出ていって、芋を買って帰ってきました。

今残っている人たちで半分こしよう!ということで、

夕食に食べようとしていた焼きそばは、明日のお昼ご飯にスライド決定!

大きなお芋さんで、石焼き芋なんて本当に久しぶりでした。

が、おかげで焼きそばの入る余地はございません(笑)

課長とは、お菓子を交換する仲良しなんです。

 

そんな芋課長とのやりとりが今日の話題です。

 

落ち込みからなんとか抜け出したくて、ホットヨガをしているときに、

社内で毎年開催されているベンチャープロジェクトに私の研究テーマで提案してみて通過すれば、海外調査の費用が出るんじゃない?

と思いつきました(完璧に、ただカナダにもう一度調査するのにどこからお金を引っ張れるかだけを考えています)。

ただ、これには職員の協力が必要で、それを芋課長に聞いてみたんです。

 

 

芋課長は、ふんふん、と頷いた後、

「うちの課でやる明確な意図が分かれば、いいよー」

とのこと。

では、この辺の意図で・・・と言うと

「それは、既にやっているものだなぁ」

おぉう、では、こっちで・・・と言うと

「それだと、ちょっと弱い」

などなど。

 

おっしゃ、では、もう一度考えてきます。

というのが現時点です。

 

席に戻って、あれ?と思ったんですけど、

芋課長とは仲が良くて、結構なんでも話し合えるので、

芋課長が言ってきたことが、純粋なアドバイスとしての視点で受け取れたんです。

でも、もしこれが、嫌いなあの人だったら?

私の企画、協力してくれないのかな?とか、

結局だめなのかな?となっていた気がします。

 

同じ言葉を貰っても、なに、この受け取り方の違い・・・・!

 

結局、何を言われても、「私が」どう受け取るかしかないじゃんねぇ、という話です。

どう受け取るかだけが、私自身が分かることで(だって、本当の本当に芋課長が協力的なのかどうかは、芋課長にしかわからない)、

そうしたら、どう受け取るかを、どう決めていくかだけが、私が出来る唯一のことなわけです。

だから、自分の気持ち、気分を一定にあげておいて、自分を守っておくことが大事なんですね。

ブレブレのふらふらだったら、もう何を言われても、罵声にしか聞こえないわけです。

言われたことや起きたこと全部が「悪くなる予兆」探しにしかならない。←今の私

そうなると、本当に辛い・・・・。

 

今の私の人生に対する私の思いは、その状態です。

だから、周りから見たら「それはそれで、結構いい線いってるんじゃ・・・?」ということでも、

「もう、だめだな・・・」となって、うずくまってしまう。

 

もったいないなぁ、という話なわけです(でも、気が済むまで落ち込むことも、大事です)。