このカナダ行きの件が、そのもやもやの原因。
この件では、必要とされていたい自分、周りから感謝されたい自分が強すぎて、妙な自己犠牲意識で動いていたんですよね。
でも、今週初めにふと、それは違うな、と思いました。
そもそも、私は海外調査のメンバーには入っていなかったんですが、プロジェクトでチームワークだし、下準備をして、いく人たちが円滑にいくようにするのも仕事だ、と動いていました。
しかし、行く予定のメンバーは英語が苦手で英語メールでのアポ取りを私にやって、
ちょっとした返事を出すことさえ厭う、
調査先も私が論文で書いたところだけ、
その割に通訳つけずに、スカイプで(これも私が紹介した)人と日本⇔カナダで通訳をお願いしようとしている(でも大事なところでネット接続切れたらどうするのか?海外ルーターは持っていく様子がない)・・・・などなど。
あれ、こいつらダメかも・・・?
ってか、私はもう十分にやることやったか、という腑の落ち方をしました。
現地での知り合いもいますが、この調子だと、紹介したくないな、とも思っています。
これが本心。
意地悪で性格が悪いだろうけど、本心です。
でも、そもそもは、私の、自分のつまらない見栄のために、やったゆえの結果ですね、これ。
感謝されたーい♪みたいな、邪な部分が、こういう状況を招いた気がしますもの。
そんなので動き続けるのって、私の気持ち的に嫌だわ、というのが、今ココ。
私も現地に行きたいし、やったこと、コネクション、動員して、私が行く方向で自分から動くのが、一番ワクワクすることです。
それで、自分の研究にちゃっちゃと反映させて、向こうでのコネクションも広げて、自分のため!それだけで動くか(そしてそれが、結果プロジェクトのためにもなるから)、そして、どうなるか実験してみるか、が32歳最後の日の気持ちでした。