許せないことが一つ目に入ると、自分の全てが嫌になってしまうときがよくあります。
例えば、いつも履いているジーンズがちょっときつくなった、とか。
そういうとき、やればいいのは生活の改善なのに、嫌になってしまって、外に出たくなくて、余計な物を自棄食いしたりしてしまって、更に自己嫌悪・・・。
太りたくない、という恐怖が、綺麗になりたい、というわくわくを覆ってしまいます。
そういうとき、たった一歩だけ、とりあえずやってみる、ということの大事さを知らせてくれます。
その一歩は小さすぎて不安になってしまいがちです。
その不安の正体は、こんなことして何の意味があるの?です。
でも、ここに大事なヒントが隠されているような気がしてなりません。
そもそも何か意味は必要なの?
意味ではなく、そこに立ってやっている自分、やり終わった自分が良ければ、それが意味になります。
それが積み重なって、ある日気づけば、思いも寄らなかった結果を招く・・・かもしれません。
※上記の記事で、紙とペンから始まった物語を、その後にあゆおさんは書いています。
だから、自分の気持ちがほっとすることをしていくことが大事なんですよね。
だって、どうなるかなんて分からないんですもの。
どうなるか分からないこれからのためより、今ここにいる自分が少しでも気持ちよくなる工夫をするのが、正気というものかな、と思うわけです。
で、それが結局「これから」に繋がっていったりするのが、また面白いところなんですが。
不思議なんですが、例えば発表が迫っているのに、遊びに出かける!というのは上手くいく結果を引き寄せません。
そりゃそうだな、と思いますし、
引き寄せ的に言うなら、どこかで気にしていて楽しめない、という状態にいるんだから、楽しいことを引き寄せるわけもない,というわけです。(この辺もあゆおさんは、都度記事に詳しく書いています)
本当に自分の気持ちが安心することは何なのか、を考えたら、
大体の人は変なことをしない気がします。
冒頭の文に戻りますが、自棄食いをしたところで、本当に安心しているわけではないんですよね。