自分は気が強そうなのは顔と態度だけで、きっと弱いのだ、と思っていました。
土壇場でがんばれず、能力も実力もないし、今や新しいことがあるだけで引きこもりたくなります。
実際、この前のプロジェクト会議は足がすくんで、休みました・・・。
自分の研究の話を人にするだけで、蕁麻疹が出そうになります。
名刺交換、嫌いです。
結果が分からないのに努力なんて、嫌いです。
これは、もう、やばいんじゃないだろうか。
病院行きか、自分の人生の幕引きを考えた方がいいんじゃないか、いやいや、病院と言っているうちは、まだ大丈夫だから・・・。
という、よく分からない自分への励ましをしています。
これに、激しく同意、もしくは私のネガティブを対抗させたくなります。
※ここから後、記事によるとひなおさんは変化を続けています。ひなおさん、お元気かしら。
と、ここまでが私が思っていた私。
で、これが「もしかしなくても、私、見た目通り気が強いかも・・・?」と考えさせられることがありました。
それは、Zから「教師に本格的になろうと思って、教育学を取るためにイングランドの大学を考えているんだけど、決まったら一緒に行かない?」という一つの提案から始まります。
・・・・イングランドか。
・・・・・・・ベッカム・・・・ヴィクトリア。
なんて思ったあと、湧き出た気持ちは、
「ただ連れて行って貰うなんて、嫌すぎる」
「付いていくんじゃない、一緒に生きていく私でイングランドへ渡る」でした。
英語も微妙なのに?
仕事の経験もほとんど無いのに??
研究者としての実績もほとんど0なのに???
イングランドにコネがあるわけでもないのに????
お金もないのに?????
なにを分不相応なことを考えているの?
ばかなの?
今の私の状況だけを見ると、尻込みというか、連れて行って貰っとけ!なはずなんですけどね。
守って貰って、そうしなければ生きていけるはずがない、という私自身の私の見方の中から生まれた、不思議な相反する気持ちです。
海外についても、ここ何年もワクワクすると言うより、出来ない自分に出会うだけで逃げ出したい気持ちが勝ち始めていて、あーもう自分の中にある夢が枯れたんだな、と思っていました。
そんななかで提示されたZの案に、忘れていた自分の気持ちの一部を再発見させられたようです。
そうだ、好きな私を生きてみようかな、と。
相手の気持ちの不確かさと、出来ない自分でいることを責め続ける日々ではなく、
例えZとどうなっても、自分でやり抜いてきたという自分への信頼の下で次の場所で生きてみたら、私はどうなっていくのか、見てみたい。
そう、これもまた、何かを約束するものではないので、Zとどうなるか分かりません。
だけど、自分の力で生きていける私でイングランドに行ったら?
もしくは結局Zはイングランドに行かなかったとしたら?(まだ何も決まっていないので、この可能性も十分にあります)
それでも、自分でやり抜いてきたという自分への信頼は私を絶対に支えてくれるのだから、これはイングランドに行くとか、海外に住むとかそういう話ではなく。
私が私の気持ちを実験してみるチャンスだと思っています。
どんな私で生きたいか。
どんな私が好きな私なのか??
今私が持っているものを、どう面白く転換させて繋げて行ってみようか。
その先には、Zと生きていく道があるのか、そうじゃないのか分かりませんが、何がやってきても面白いだろうな、と思います。
それをすることによって恋人とどうなるか保証が無くても、やりたいことですか?
という自問自答に、ええ、だって面白い状況にしかなりませんもの、と根拠もなく内心答えたので、今の私にとっては正解なのでしょう。
Zの提案は、そんなことを呼び起こしてくれました。
たまに、あの人って人間の形をした何か別の者じゃないかしら?と思いますw
そして、ロマンチックになりうる提案な場面で、心の中で自分自身への挑戦のゴングが鳴った私は、決して気が弱いわけではないのでしょうwww