今日、投稿論文の再提出をようやくしてきました。
さて、通るのか。
すったもんだで、まずは書き上げた自分に乾杯!
あとは、奨学金返還変更の手続きもしてきました。
論文出したー、お腹すいたー、今日こそ牡蠣とじ丼だ!と意気込み持ち帰りをし、御所のお庭で食べていました。
そこで、なんとなくドラマ「ロングバケーション」のワンシーンを思い出したんです。
森本レオがキムタクに「壁、とっぱらっちゃってください」というシーンです。
何度も何度も思い出していました。
>神聖なものを自分ごときが手に入れていいわけがないと信じているから、難しいと感じてしまう。
これが私の壁です。
幸せも、仕事も、恋愛も、夢も、家族も、私が願ったって手に入らない!という気持ちがあります。
好きなことなはずなのに、なんでこんな気持ちなんだろうと誰を責めることもできないもどかしさを、ずっとどうしたらいいのかわからずにいました。
幸せになれないの?なってはいけないの?すべてが遅すぎたの?
こじらせすぎ(笑)
それが(結果論ですが)Zとの別れ話の一件で、
例え別れても、私は私を幸せにするしかない、と、なんだか壁という名の思い込みにヒビが入ったような気がします。
奨学金の返済も改めて見直し、頑張れば35歳までに全部を終わらせる。
でも、生活も思いっきり楽しむ。
体もできるだけ大事にして、そこから子供を持つことを考える。
35歳が限界説で、そこからなんて・・・という声も知っているけれど、そこからでもチャレンジしてみたい。
返し切って、よっしゃー!で母親になってみたい。
仕事も、今の研究関心のなかで、今私が持っている条件すべてを使ってチャレンジする。
ロンドンかワシントンか京都か。
イギリスにZと一緒に行かなくても、お互い好きなことを思いっきりやって、Zを思い切り応援しながら自分も応援して、
それが続いてタイミングを引き寄せて、これまでにやってきた自分の色々なことを、全部力に変えたい。
一人じゃなく、パートナーと、楽しい家族を育ててみたい。
なれないかもしれない、でもチャレンジしてみたい。←これ重要。
ずっと不安で、子供がほしい彼のために産めるのか、仕事はできるのか、奨学金が返せるのか・・・・。
でも、なんだか返せる額だし(1千万返還をあと2年で、とかなら絶望するけどそうじゃない)、
仕事も私にできる仕事なんてない、今は運よく食いつないでいるだけで・・・とか言っているけど私が食いつないでこれたくらいだから仕事はあるし、
大体今の状況なんて、知り合いが全員爆笑を超える意味不明な状況から海外に行ってきてコネクション繋いできて、院生生活も自活している。
ずっとずっとZが、君は今までも色々やってきて、羨ましいくらいなのになんでそんな悲観するんだ?という声をずっと耳を素通りしてきたんだなぁと気付きました。
あなたに分からない!ってね。
自分の声を素通りさせる相手がパートナーなら、悲しくなるに決まっているし、やっていけないと不安になるに決まっています。
私は間に合ったのか、どうなのか分かりませんが、今からやれることをやるしかないので、一つ一つの時間を大事にしていきたいな。