今日から12月になりました。
職場でおやつぶ部長(部員、私。以上)としての仕事をしている私としては、シュトーレンを始めるしかない、と思いまして。
2~3回に分けて色んなお店のシュトーレンを買い、仕事に勤しむ方々への休憩のお供にして頂いています。
さすが、寒さが厳しい森が豊かな地方の食べ物、ドライフルーツや木の実がふんだんで、冬を乗り越えるエネルギーに満ちている・・・。
つまり、はい・かろりー。
なので、こうやって皆様で分けわけ出来ると、色んなお店の味が楽しめて、カロリー少なく、種類豊富で嬉しい日々。
一人暮らしで2つ(小さいサイズ)も家にあったときは、クリスマスどころかお正月を越えてバレンタインまで引っ張りましたよ。
珈琲、紅茶は勿論のこと、シュトーレンはスパイスたっぷりのホットワインとの相性も抜群です。
シナモン、クローヴ、カルダモン、胡椒、蜂蜜、ドライオレンジ・・・。
アルコールが苦手な方は、フランベの要領で飛ばしてしまえば、いけるかな。
パネトーネも好きですが、シュトーレンに比べて日本での取り扱いは少ないのが残念。
自転車の移動範囲で、素敵なパネトーネに出会えると良いな、と日々念じています。
昨日は、論文の締め切り日でした。
その日の午前中に、ようやくボスから許可を頂け、事務室へ提出完了。
締め切りの十日前にボスに提出をし、3日後に頂いたコメントは「日本語からやり直した方がいいんじゃないんですか?」でした。。。
その時点で締め切り日の一週間前だったので、正直もう無理だな、駄目だな、もうこれは大学院での研究なんて辞めて、別の道を探すべきだな、という気持ちが一番に沸き起こりました。
でも、直しもせずにやめることに、安堵感や良い気持ち、つまりホッとする気持ちが出てきません。
それは忙しい中、全文章にチェックを入れてくださったボスへの敬意もあったのですが、それよりも、まだやりきっていない自分への未練だったような気もします。
>「私には無理だ」を「私にもできるかもしれない」。
「現状を見たら実現するなんて信じられない」を「現状はこうだけど、永久に実現しないというわけじゃない。可能性も少しはあるだろう」。
>こんな風に自分の思考「無理」よりは「できるかも…」位に変え、ホッとした気持ちを感じたり、より気楽に望みを浮かべワクワクする事ができると、望みをスムーズに引き寄せられる体質になっていくことでしょう。
(続 はじめての引き寄せ野法則 1~より引用)
この文章を胸に、もう一度考えました。
私には、きっと、ポジションを争えるような素晴らしい業績は無理です。
でも、書き直して、再提出することは出来ます。
どれだけ稚拙でも、書き上げることは出来ます。
泣いても笑っても一週間の間に私が出来ることをやれば、きっと自分を恥ずかしいと思わずにいられる、それが矜持であり、辞めるにしても次に繋がる自分でいられるな、と思い、書き直しを始めました。
思考の具体的なプロセスは次の記事を参考にしました。
この記事であゆおさんは、以下のプロセスにまとめています。
今の自分と高いハードルのある望みとの差を縮めるステップ
- 望みを浮かべる 「○○を叶えたい!」
- 今の正直な気持ちを感じる 「私には○○を叶えるなんて無理だ」
- 疑う 「でも…本当に無理なんだろうか?そんなに無理?絶対に一生無理?
- 疑ってみて感じたこと「世の中には、それを叶えている人はたくさんいるのでは?」「なら私にできてもおかしくないだろう」「でもどうやって?」
- 今の自分でできそうなこと 「今の何もできない私でも、簡単に楽しくできる何かはないだろうか」
- できそうなことをやってみる 「そうだ、あれをやってみよう。それくらいなら今できそう!」
(続 はじめての引き寄せ野法則 2~より引用)
これに自分を当てはめると、
1 望みを浮かべる=論文を提出したい
2 今の正直な気持ちを感じる=書き直せるわけがない、日本語からやり直しって・・・。
3 疑う=本当に無理?書き直すことすら無理?
4 疑ってみて感じたこと=今までにも提出できた人は山のようにいる。トップにはなれなくても、提出することくらいいける・・・?
5 今の自分でできそうなこと=今の劣等生な私でも、出来る何かはないか
6 できそうなことをやってみる=とりあえず書き直す。稚拙でも、書く。
という流れです。
ポジション争いにも加われないのに研究を続ける意味、書き直す意味なんてあるの?という自問自答との戦いの一週間だったとも言えますが、とにかくホッとするのは以上の流れから出てきた「ただ、書く」だったので、それを行いました。
本当に駄目なとき、方向性を変えた方がいいときは、そういうことが起きる。
だから、それまでは、今回と同じく、出来ることを、ただやろう、そうすれば自分を嫌うことはないはず。
途中で保存していた書き直し分が消えたり、というお約束トラブルも多発。
目次の構成やタイトルも変えたりして、弄り倒していました。
そして、木曜日の朝、目が覚めて、覚悟を決めました。
ボスが「これとこれも書いた方が良いな」という部分を全部削除したのです。
どうしても流れが掴めず悩んでいましたが、ボスからの指導だしな、と無理矢理入れ込んでいた部分です。
ボスの頭の中では繋がりがあったのでしょうが、私にはその繋がりを見いだすことが出来ません。
どうせ辞めるなら、どうせこれで最後だから、自分で理解し、納得して出そう、まぁ最悪の事態は怒られることくらいだ。
そこからまた書き直し、どうしても綺麗な日本語に訳せない文に友達を巻き込みながら、土曜日の深夜にボスに送信。
土曜日の深夜に送り、次の日にボスから「明日の午前中までには返事をします」という連絡が来てから、論文に対して出来ることはもう何もありません。
自分の論文を読み直しながら、こんな研究意味ないなと思いつつ、でも逃げずに書き直したんだな、私、と淡々とした気持ちでした。
ここで、もう一度
5今の自分でできそうなこと
6できそうなことをやってみる
を考え、すべての書類がそろい提出している自分を妄想しながら、梗概(論文のあらすじを示したもの)と表紙、参考文献のチェックをし直しました。
そして、締め切り日である次の日の月曜日には、もし万が一、許可が出たらすぐに提出できるように早めに大学に向かいました。
その大学へ向かうバスの中でボスからの電話が鳴ります。
バスの中だからどうしよう、というか出たくない・・・。
が、電話に出るくらいで死んだりしない、と励まし(?)電話に出ました。
「ああ、ももえ君?」
「はい。先生、すみませんが、今バスの中なので・・・」
「ああ、すみません。さっき書き直し分についてメールに送っておいたから」
「ありがとうございます。で、提出は・・・」
「あ、いーよ-。まだ直すところはあるから、詳しいことはメールを見て。それを直したら出していいですよ」
ま・じ・で??!!
大学について確認したメールには、
「まだまだ日本語文法的におかしいところもありますが、同一人物が書いたとは思えないくらいよくなっていると思いました」
と書かれていました。
その後、チェックが入っていた部分を直し、事務室へ提出を完了しました。
私の論文が優れているわけではありません、それは断言できます。
ただ、まだ研究を続けていって良いのかもしれない、という気持ちになりました。
そして、こういう気持ちで、こうやって書けることに、感謝の気持ちでいっぱいです。
あゆおさんの記事からは、今も本当に多くの気付きをもらいました。
ありがとうございます。
これからも、ブログの更新を益々楽しみにしています。