運動するには、運動するための体力が必要だ

一年弱前、精神的に弱っていた時に医師から紹介されたカウンセリング。

なんやかんやそのままにしていて、なんと去年の十月頃、登録をしました。

何かある前に、手は打っておこう、みたいなノリです。

そこから音沙汰はなく、忘れかけていたころに連絡があり、十二月からカウンセリングを受けています。

知ってから始まるまで、一年!

むしろ回復していた頃に始まったんですが、むしろそれくらいで良かったのかもな、と思います。

まぁ、嫌になったらやめよう!という決心のもと始まりましたが、なんとなく続いています。

それは、カウンセラーとの相性もあるでしょうし、そもそも強い期待をしていないところもポイントかなぁ、と思っています。

素人判断的に思うところは、むしろ今は、すごく切羽詰まっているわけではない=カウンセリング必須ではない、というのが本音なんです。

でも、そのくらいの余裕があるからこそ、カウンセリングでは、割と話せていますし(カウンセラーの腕がいいのも勿論あるでしょう)、

カウンセリングを受けるための余力が必要だったというわけですね。

そこまで行くには、私は1人の時間が最も大切で、ぐるぐると回っているようでも、1人で力が戻ってくるのを待ちたい。

周りからすると、大丈夫か…?と思われる状態なので、そういうときにそばで過ごさなければならない人は辛い中で、夫は持ち前の性格で乗り切ってくれていると思います。

ありがとう。

 

しかし、オンラインでカウンセリングを受けながら、自分のことを話す自分をふと、

私、意外と英語喋れるんだな、と思ったりして。

ある意味、抽象的で取り止めのないことを第二言語で話すって、自分のレベルでは絶対無理だろうな、と思っていましたが、

カウンセリングが特に止まらずにいるということは、まぁなんとかなっているのでしょう。

相変わらずで、ちっとも進歩しない自分の語学力に、知性の乏しさを感じていますが、たまにこういうことが起こると、ちょっと嬉しくなります。