カフェイン満載の朝食と独り言

折角の機会だし、と普段より少し(ほんの少しだけ)料理に手間をかけています。

というわけで、営業続けてくれているパン屋さんでパンを購入、

分厚く切って、一晩たっぷりの抹茶で漬け込み、フレンチトーストにしました。

 

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ブルショットアメリカーノ付けて、カフェイン満載の朝食でございます。

ある意味エナジーブレックファースト?

抹茶を溶くのはやっぱり茶筅が一番だな…と実感しています。

 

さて、日本の友人と久しぶりに思いっきり電話して、少し前向きになりました。

社会全体の緊張感、そして異国でそれを乗り越えていく現状に、まぁ疲弊しない方がおかしい。

疲弊してもいいんだな、と開き直ったのかもしれません、それが私なりの前向きです。

前向きに頑張るというのは、白が黒に変わるようにくっきりと気分が変わっていくものでは、私はない。

欧米育ちの夫とは、なんというか、この「痛みや弱さを抱えたまま、それも込みでやっていく」という感じが、どうも伝わらない感じがしますが。

これは文化の違いなのか、個人の違いなのかしら?と一緒にいる時間が長くなる程思います。

くっきりきっちり言葉で明瞭にするだけではない、何かを説き伏せたり議論で解決するでもない、感情の動き、起きたままを分解せずにそのまま飲み込んで消化してみる、という感じと言いますか(なんと言うんでしょうね)。

この違いが、時に言いようのない孤独感というか孤立感を生み出すんですが、

その辺は30も後半の年の功ゆえか、違いは違ったままでいい、この気持ちもそのまま放っておこうと思えるのは私が図太いからかもしれません。

腑に落ちない顔をしつつ理解を求める夫には

「分かる時は分かるから、その違和感のまま飲み込んでみるのが唯一の方法よ」

と、煙に巻いた言い方(に彼には聞こえるではあろう)をして、放っておきます。

すまん、夫、まぁ東洋文化(日本)をもつ配偶者とはそういうこともあるんだ、頑張れ(笑)

 

ただ、所変わればなのか、政府の言ったことを嘆きながら、しかしそのまま受け入れようとする日本社会の雰囲気は私の中ではなりを潜めています。

それは日々変わる加奈陀政府(今のところ健闘中)の動き、他国の動き、日本の動き、加奈陀にいる日本人(状況はそれぞれ)の動きを比較できる位置にいるからとも言えます。

日本政府の動きには、驚きや怒りを通り越し異次元感すらもちます。

そして、いくら日本人とはいえ、日本に住まない私が危機を強く言っても、日本で過ごす友人や家族にはどれほど伝わるのだろうか…と思うと、

ただ溝を生むだけだし、と積極的に意見を言わないのが現状です。

電話で話した友人は医療従事者である専門家の冷静さと、移民2世の日本人である視野があるので、活発に明るく意見を交換できるのでこちらの状況を話やすいのです。

数少ない貴重な友人です。

ただ彼女は医療従事者ゆえ、結局危険度で言うとかなり高い。

可能な限りの対策は行なっているようですが、どうか無事に事態を切り抜けてほしいと祈ることしかできません。