カナダでは永住権を取った人を対称に無料で英語とフランス語を学べるプログラム「LINC」があります。
まぁ、タダならば…ということでレベル分けテストを受け、学校に行ってきました。
先生によって授業の進め方は色々あると思うんですけど、私が通うところは(スピーキング・リスニングのクラス)ディベートをしたり、グループで意見を言う、ということがメインの教室でした。
ディベート・・・懐かしい響きだな、というくらい、全然生活にないものでしたが、確かにスピーキングの練習としては最適です。
私が参加したのは週半ばからで、そのとき既に一つの話題で話が進められていました。
その話題は「トランスジェンダー」。
英語どころか日本語でも中々難しい、
言語の問題というより私自身の考え・方向性が今ひとつはっきりまとめられてない、下調べの時間もないから先行研究の簡単な整理も出来ないぞ!
こんな状況でディベートか…まぁ一度でも発言出来れば良しとしておくか。
といういつも通りの軟弱根性で臨んだわけですが。
結果は、まぁ、なんというか、
惨敗・・・。
というか、わたくし、完全に萎縮というか呆然としてしまい、上手く切り込むことすら出来ませんでしたぜ…。
LINCは移民対称の言語プログラムですので、色々な背景を持った人々が集まります。
なんというか、のほほんと生きてきた私、完全に周りに負けるの巻〜
というナレーションが入りそうな状況でした。
英語を第一言語としない人の集まりなので、それぞれのもつ第一言語のアクセント等が強く発揮された英語は、もはや何を言っているのかを掴むだけで精一杯。
声がデカく、他者を遮って意見を続ける人々。
それは議論ではなく、ただの感情的な主張だろう?という発言の数々。
そして言っていることを聞き取れているか自信が持てない私=発言を怯む、という構造で、
完全に惨敗でした。
思い返すと、私のこれまでの仕事は大学や研究所で、議論の場に居ることは多々あったはずなので、もう少しいけるかな、と最初は淡い期待をしておりました(馬鹿)。
しかし、それは「前提条件の確認、個人の経験は唯一ではないこと、声を荒げない、人が話している時は待つ、相手が話している時は聞く」などと言ったルールの下、行なわれていた非常に穏やかなものだったわけです。
そんなの関係ねぇー!
と言いたげな混沌としたあの教室こそが、社会の現実の一つの縮図なのだなぁ、と大声を張り上げて喧嘩(としか言いようが無い)が行なわれる横で思っておりました。
帰って、夫(加奈陀人)に話すと、大爆笑しつつ、
「まぁ声を張り上げるのはともかくとして、意見を主張し合うのは加奈陀ではままあることですし、良い経験だと思いますよ」と慰められました。
夫と家庭内で何かの話題で意見が違うことはよくあるのですが、そのときも「私はこのような理由でこう思う」「それには反対で、なぜなら〜」といったやり取り程度なもので、
一つの議題で口から泡を飛ばして…なんてやりあったことが無かったのです。
*ただ腹が立って感情的な時は別ですけど。
でも、なんだか北米社会にいるからとて、なにもかもを北米流に(つまり意見の主張を強く行なう女性像)するのも、なにか違う、そのまま真似ても辛くなるだけ。
ということは、年のお陰か強がりなのか、思うところがあるので、
私なりの「意見の通し方」を掴んでいきたいカナダ生活2年目なのでした。