私は東北の生まれ育ちで、何人かの友人たちはそのエリアに今も滞在しています。
こちらカナダでは時差の関係で3.11が今、まさにこのときです。
もう8年か、と思います。
私は当時関西に住んでいました。
自宅にいて、なんか変な揺れ…?と思い、しかしテレビもない生活で、数時間情報から離れていたので状況を理解するのに遅れをとりました。
家族や親戚はその日のうちに無事が分かりつつ、ハッとしたのは高校時代からの友人でした。
確か、海が近いと言っていなかったか…?
岩手の田舎の方に引っ越しで、と笑っていなかったか…?
急いで電話をかけますが通じません。
なんとかネットで情報を探り、分かるところには全部かけました。
ご実家にも聞くか、でも万が一大変な状況だとご迷惑になる、と右往左往していました。
知り合い全員に声をかけ待つこと数日。
そしてその数日の間に、私は生まれて初めて、友人が死んでしまうのか、ということに直面しました。
彼女(とご主人)の無事が分かった時は、呆然としていました。
津波の被害で町は壊滅状態で、知り合いの家に数日厄介になっている、といつも通りの笑いながらふざけた口調で言っていました。
震災後、町をとぼとぼ歩いているご老人がいて、車を運転していた友人は「乗りな!元気出せ!」と乗せたこと。
バタフライで津波から舞い戻ってきた女だと笑い話にされたこと。
なにもかもがいつも通りなのに、時折、寧ろ家が無事だった人が妬まれたり危険な状態で、家を空けられないことを聞いていると、いつも通りなはずが無い、震災後なのだ、とハッとさせれました。
その後、アメリカの大学の先生(日本人)が、研究で原爆、放射能について調査するアシスタントを日本で行ないそれが本になりました。
アメリカに住む先生は、日本の政府のあり方、震災後の日本の報道について疑問を持っており、現地の人の声、活動している人の声を中心にまとめ、それを手伝えたことは素晴らしい機会でした。
ただ、正直、私には何が正しいのか、この先日本はどうするべきか、ということはわかりません。
私はカナダに移り、日本はこの先暮らしていく国ではなくなりました。
所詮外からの意見であり、安全な場所から何を言っても…という気持ちになります。
ただ、震災後彼女と、彼女の産んだ息子に会ったとき、あのとき彼女が生きていてくれたお陰で私は彼女とまだ馬鹿話が出来るし、新しい命にも出会えました。
それがどんなに尊いことなのか。
日本から離れたこの国で思わずにはいられないです。