棚からジャズコンサート

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相変わらず、不安まっただ中です、いぇーい。

 

そんななか、コンサートに行ってきました。

 

一度聴いてみたいな、と思っていたジャズピアニストのコンサートが大学構内のホールで開かれたんですが。

 

一度目)看板を見て、もう終わったと勘違いする(チケット売り出しの日を演奏日だと思ってた)

二度目)コンサートの前日、「あれ、看板がまだある・・・?あれ??」と勘違いに気付く。よく見ると、先着で無料で学生は観覧できる。(一般は2500円)

 

というわけで、思わぬところから、無料で会いたい人に会えた(?)のでした。

 

ここまで音って響くの??!!というくらいパワフルな音で、でも喋るとノンスタの井上っぽかった・・・・。

 

エネルギッシュな演奏を終えて、動画で改めて聴いたりしながら、ふと、気付きました。

 

彼は凄く楽しそう。

 

特別な才能で、だから楽しめるの?

 

限られた人しか楽しめないの?

 

ジャズピアニストという、先の見えない仕事。

 

いくら人気だからといっても、競争の厳しい世界、不安の種なんてその辺に転がっている。

 

でも、彼は楽しそう。

 

見せかけ?

 

見せかけで、見も知らない誰かを揺さぶれるなら、役者すぎるでしょう。

 

そのとき、ふと、自分のこれまでを振り返って、楽しんでやってきたのかな・・・?と疑問に思ったんです。

 

いつ辞めろと言われるかもしれない、いつ続けられなくなる日が来てしまうのだろう・・・と思ってやってきた研究生活。

 

仕事がしたい、何かをしたいときも、不安を伝えて汲み取って、与えてくれないかな・・・と他人や周りに期待してきたこと。

 

そのときは、卑屈な気持ちと、勝手な自己犠牲でいっぱいで、話していてもちっとも楽しくなくて、そしてそう言う時は何も得られない。

 

でも、ただ楽しくて、興味があったことを、精一杯話したら、ひょんなことから何かがやってきて、叶ったこと。

 

imadokiyuuka.hatenablog.com

 

卑屈な時って、格好悪いことをしていたような気がします。

 

今、自分の状況を打開したいのだから、

「今辛くて〜」で始めるのではなく、

「これがしたい」で話し始めてみる。

 

自分の希望を言ったところで・・・という心境は、自分を疑って立ち止まっているだけで、全然安心しないですしね。

 

そして、私の憧れって、自分の持っている生活や色々な物を目一杯楽しんでいる人だったな、と思い出したんです。

 

そこに妬みもあって、お金持ちだから、とか、若いから、とか、自分に出来ない理由を見つけていました。

 

でも、私自身が「自分の持っている生活や色々な物を目一杯楽しんでいる人」に対して、嫌な気持ちを持っていたら、それはつまり、そんな人を拒否している=自分に起こるのを拒否している、という図式だ・・・・・がーん。

 

いーやー!!!!