昨日、ホットヨガの帰り道、書店に立ち寄りました。
夜遅くまで開いているのですが、なんかこう深夜の書店って、どきどきします。
さて、本棚からいくつか手に取りながらウロウロしていましたら。
最近目につく「姫活」系の本がありました。
ざっくり言うと、何かをするとき「その行動はあなたの大事な人にもするの?」と問いかける系のものでした。
例えば食事をするとき、自分だけならパックのままでいっかー→大事な人にもパックのまま出すの?→いや、箸置きまで付けます→では、そのように自分にもしましょう、という感じですね。
あとは、落ち込んでいるとき、大事な人にならどんな風に声をかけるか、それを自分にもしましょう、というのもありました。
ふむふむ、というわけで、落ち込んでいるときに(大体一日に何回か落ち込むから)試してみました。
落ち込みタイム→(自分を大事な人だと思って)自分に言う言葉・・・・・。
まぁ、落ち着け!一つだめでも、全部をあきらめることないやん!!
・・・・・・私の中に姫はいませんでした(笑)
あ、あとは、それって絶対、確実に、10000%無理?ほんと??ほんとに????という問いかけもしました。
この記事であげている「不要な思い込み」。
それは、その人の(だけの)「世界」とも言えますよね。
あゆおさんは、記事の中で以下のように定義しています。
>不要な思い込みとは、自分の望みに対して前向きになれない考え方の元になっているものです。
>過去の経験が影響していて、自分で意識しなくても「当たり前」と思っていることです。
今の私なら、博士論文挑戦中
→論文かけないだろう
→仕事見つからないだろう
→お金出来ない
→Zとも離れなければいけない
→遠距離無理・・・・
あたりですね。
で、この「不要な思い込み」なんですけど、姫活理論を持って、大事な人がその状況だとして、言葉をかけてみる(と想像する)。
博士論文挑戦中、でも辛そう
→それって絶対、確実に、10000%無理?ほんと??ほんとに????
→それに、がんばってるじゃん
→やれることやったらあとは野となれ山となれ、挑戦したことが偉い
→全力でやってだめなら他に良い道があるってこと
→それが叶わなくても別な道から仕事に繋がるかもしれないから好きや興味を大事にして仕事を探すのもいい
→遠距離でも頑張れるだけやっていこう
→でも、一緒にいたいから、まずはその努力をしてみよう
あれ・・・?
なんで、私、他人のことだと、こんなふうに思えるの?
つまり、私が私の世界には「博士論文挑戦中→論文かけない→仕事見つからない→お金出来ない→Zとも離れなければいけない→遠距離無理」を設定してるだけでは・・・??
ちょっとひびが入ったかもしれない日でした。
そして今日は、Zの面接の日。
なので、ロンドンにいます。
ロンドンで面接のZ、がんばれー!!!!
届け、この想い。