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ちょっといける・・・?に辿り着く

kaishaku01.hatenablog.jp

 

好きなことを見つけて「やってみたい!」ってワクワクしていたら、それに関して動きが出てきて

 

とても素敵な瞬間に立ち会ったのですね。

 

就職でも進学でも、是非共姪御さんには、ワクワクする人生を歩んでいてほしいと遠巻きながら思います。

 

私も20歳前後の学生(時には10代!)と授業で接すると、いや出来ねーし・・・みたいな状況から、ちょっとアレ?いける・・・?と変わる瞬間に出会うことがあります。

 

それは、本当に素敵で嬉しい瞬間です。

 

そうなんだよ、君さえ望めば今の状況は結構面白いものを引き連れてくれるのよ、と老婆心ながら応援してしまいます。

 

でも、ちょっとアレ?いける・・・?のこの瞬間にだけは、本人以外辿り着けません。

 

どんなに周りが言っても、辿り着くのは自分自身だけです。

 

あゆおさんの姪御さんが、ちょっとアレ?いける・・・?という気持ちがあったからこそ、あゆおさん自身も益々応援したいと思って色々とご教授されたことでしょうが、

 

もし、でもでも・・・ととりあえずパソコン教室で・・・となっていたら、残念とは思いながらもそれ以上は何もしなかったような気がします。

 

そう思うと、ちょっとアレ?いける・・・?は一種の「勇気」なんですね。

 

勿論、ちょっとアレ?いける・・・?がいつでも、都合いいことばかりを連れてきてくれる訳ではありません。

 

テレビで聞きかじったことですが、受動的な期待と能動的な期待という、二種類の期待があるそうです。

 

例えば「夏が楽しみ」という例で考えると、

受動的な期待:夏は素敵な出会いがあるかも。

能動的な期待:夏になったら泳ぎにいくぞー!

 

つまり「誰かや何か」がワクワクさせてくれるかもとその時のことを待つのが受動的な期待で、「自分」がこれからすることをワクワクしながらその時のことを期待するのが能動的です。

 

この2つの期待の場合、上手くいかない(思った通りにならない)ときにがっかり・そんぼーりするのが高いのは、断然受動的な方なんですって。

 

どちらかが良い悪いという話ではありませんが、能動的な方が、主語が「自分」で動ける(つまり自分でコントロール出来る)ので、楽そうだな、と思いました。

 

能動的に期待して動いた結果、何か思わぬ素敵なことが来るかは、誰にも分かりませんし、そんな期待もスパイスとして残しておきますけどね。

 

このスパイスこそ、万事良好の気持ちのことであり、起こることが全部素敵な何かを意味したり、素敵な何かに続いていると思えたら、

 

私自身が動きさえすれば、なにもかもが面白い方向へ向かっていくような気がします。

 

私の最近の話ですが、あるアメリカの大学の研究者にメールを送りました。

 

そこは私が興味のあることを集中的に調査をしている全米で唯一の研究所で、メインの研究者のアドレスが、載っていたので、聞きたいことを書いて送ったんです。

 

とは言っても、返事が来るなんて思ってませんでした。

 

忙しいし、一介のアジアの院生のメール(こちらの素性は相手には分からないので)になんて気にも留めないだろうと思ったんです。

 

ところが、12時間後には、日本に行く機会があれば会いたいし、もっと聞きたいならSkypeで話をしよう、という丁寧な返事が来ました。

 

信じられないと思いながら、感謝を伝え、そちらの研究所に憧れていることなどを少し書いて、返事をすると、すぐにまた返事が来ました。

 

その研究者は、こっちでやりたいなら力になる、これからも分からないことがあったらいつでも聞いてほしい、まめに連絡を取り合おう、と言ってくれました。

 

この流れって何か引き寄せっぽい!

 

ですね。

 

どうなるかは分かりませんが、分からないなりに「今、ここで私が出来ること」を考えた結果でした。

 

メールを送るだけなら出来る(例え返事が来なくても、聞くだけ聞いたと思える)。

ただ、ワクワクしている気持ちだけを伝える(自分はまだまだだから、とかは書かない。そっちの研究所でもっと勉強や研究が出来たら良いなーのところだけにする)。

 

まぁ、ぶっちゃけSkypeよりメールの方が今は楽なんです。

 

文字で残るもの〜(聞いて質問してメモして・・・とか辛い。。。)。

 

さて、アメリカに行く予定たてようかな、一度会って見てこようかな。

 

ZがSkype面接が済んで、上手くいけばイギリスで面接なので、付いていって向こうの先生に会おうとは思ったが(こっちは面識も連絡も全然していない)。

 

どうしようかしら。

 

ちなみに、その研究者の応援は、私が学生に感じている老婆心のようなものなのかもしれません。

 

私は自分の年齢を考えて今更・・・と思いがちですが、相手からすれば、学生が頑張ろうとしているとしか映らない訳です。

 

そう思えば、私もまた私自身で、ちょっといける・・・?に辿り着いて、次の機会を掴んでいくのみなのかもしれません。