ドイツの報告書を先生に送って、返事待ち中。
帰国時に空港までZが迎えに来てくれて、帰りの電車の中で、少し考えの変化があったことを話しました。
Zは私を見つめながら、
「君は、君が望めばなんでもできるんだよ。それくらい、知性があり、力があるんだよ。君は自分の力でやり遂げてきた、これからもそうだ。」と言いました。
でもこんな素敵に見える励ましを言われるたびに、
そんなはずはない、自分には出来ない、と一種の怒りさえ感じてしまうのも事実です。
ドイツの滞在中も、同室だった先生に、
「当たり前みたいに自分ができない前提で話しているけど、なんで?」と言われたりしてました。
そこで、ハッとしました。
私はずっと、たとえ条件が悪くても、なにがなんでも、
「貴方は素晴らしい、必ずできる」と誰かに励まされたかった。
でも過ぎてきた時間の中で、できない自分に馴染んできたのでしょうね。
だから、いざ、それが目の前にあるのに受け取らず、できない理由を自分の中に探そうとする。
これこそ、受け取り拒否なう!
あほだわぁ~。
でも、それさえも私なのよね・・・。
しかしながら、そんな中でも生き延びてきたから、その拒否も私の中で一つの正解なのかもしれません。
神も仏も引き寄せもなかったとしても、っていうか、無かろうが私の人生くらい私が何とかします。
というのが、私の今のところの結論ですね。
手放す、どうしたらいいの?とかでモヤモヤしているより、10km走ってきたほうが、色々忘れられてるし。
とりあえず知っている情報源にメールの一本でも書いてみるほうが、出会いを・・・とか待っているよりスッキリします。
スピリチュアルの本を買うより、書店の本棚にある「おつぼね!!!」を見たほうが、やりたいことを手につかんで自分の人生にしている迫力と説得を感じましたもの。