もうすぐ誕生日なんですけど、その度に去年の私とどれくらい変われたのだろう・・・?
と不安になります。(つまり大したことが出来ていない自分を責める時期)
あるのは不足感だけ。
なんでしょうね、これ。
これは、自分で自分を幸せにすることから逃げてきた結果なのかと思います。
良い子でいたくて、でも誰かに幸せにしてもらいたい、という、人に気を遣っているようで、でも私を幸せにしろ!という酷く意味不明なダブルスタンダードが私の心にある故の不足感なのかと思います。
今日、イギリスEU脱退の話をしていたら、ある先生から、NZでは結構コネがあるよ、という一言がありました。
そのとき、なんだかすっきり気持ちよく自分のやりたいことが来ている、ラッキーとならず、変に作り笑いをした返しをしてしまったんです。
本当は、英語の勉強も含めて、研究者だけに拘らず、でも自分の目指す方向は失わず、海外で生活していく目処を立てたいのが、本音ではないのか、でもそれだと対外的に恥ずかしい(今いる場所から逃げようとしている?)と思い込んでいるから作り笑いになってしまったんだ、とアイスココアの氷をがりがりしながら思いました。
自分の「あ、いいかも」という気持ちよりも、デモデモダッテ・・・が上回ったのを感じて、酷い違和感を覚えたんです。
この違和感は、別に目新しい物ではなくて、でも、今ここから動くのが怖くて辛かったので、見ないようにしてきました。
でも、この一年は、違和感を出来るだけ無視せずに、自分の「?」を可能な限りみてきたら、こんな変化(というか自分としては新しい経験)もありました。
・沖縄で恋人に誕生日を祝って貰う
・北米調査
・カナダで飛行機を一瞬運転
・ポートランドで一人旅
・新しい仕事が始まる
・月収2倍
・ドイツ行き決定
・学会発表(連名だけど)
・香港でアフターヌーンティー
・台湾で大学の先生にアポ取って調査
・研究発表学内審査通過
・1つ論文提出(次号再提出)
・恋人と家族がご対面
・行政のプロジェクトメンバーになる
・自転車で島一周
もう、いい加減この違和感を無視したくないな、と思って、今回感じた違和感も、見ないふりでもなく、対外的な解決ではなく、自分なりの方法で消化していったら、何か起こるのかな、と。
その方法が「ヒャッハーじゃないけど、この辺ならまぁいける安心感を探す、そしてそれをやる」ことかと思います。
とりあえず、明日NZの話をくれた先生と作業をするので、変な作り笑いではない気持ちでNZのことをもっと聞けたら、OK。
タイトルは、この歌から頂きました。
この辺りのKREVAが大好き。