この前、友人の結婚式に出席し、お久しぶり!な人たちと会うことが出来ました。
お互いの近況なんかを話しつつ、話題は恋人のことに。
もうすっかりご無沙汰ですが、一時、SNSにZとの旅行の写真を載せたりしたんですよね。
写真に偽りはないんですが、写っていない裏側では、結構バタバタしていたんです。
でも、写真や記事だけをみると、すごくロマンチックなひとときをプレゼントされた!という感じにも見て取れます。
笑いながら、裏側のこと(それはそれで、とっても楽しかったことなんですが、期待には添わない、ロマンとはかけ離れた面白さでした)を話すと、友人は一言、
「そうだったんだー。外国人の彼氏だし、そういうプレゼントも日常なのかと思った・・・」
私と友人が同じ日本人でも全然違うように、外国人と言っても色々いるのは当然なんですが、友人は「外国人」=ロマンチックな欧米人、という枠組みがあったようでした。
Zとつきあい始めたときも、友人達から(ほぼ全員かも)
「外国人とつきあうと思ってた!絶対合うよ!!!」
という、お墨付きを頂いていました。
けれど、それまでにお付き合いした人たちは日本人でしたし、私自身、好きな相手なら日本人でも外国人でも構わないんだけどな・・・と思っていたので、友人達からの言葉には不思議な気持ちさえ抱いていました。
結果、友人達が言う「外国人」と付き合っているわけですが。
たまに、Zが外国人だと言うことを忘れるんですよね。
見慣れたからか・・・?理由は未だ分かりません。
私は彼が外国人だから付き合っているわけではないですし、彼も私が日本人だから付き合っているわけでは無さそうです。
話が合いますし、一緒にいてリラックスできますし、喧嘩も出来る相手だから、付き合いが続いているだけです。
友人の彼氏は台湾人ですが、友人曰く、日本人女性と付き合うことは台湾人男性にとって一つのステイタスのような含みもあるそうです。
なので、つきあい始めは「自分が日本人だから彼は付き合いたいだけなんじゃないだろうか・・・」と少し悩んでいました。
それを聞くと、ますます、大事な人のためにも「その人を見ている」ことが伝わると良いな、と思います。
私もそんな風に思われたら、悲しいですもの。
でも、周りの見方は色々だと言うことも体感しています。
夜、二人で歩いていると、中年の男性に(酔っ払いのようでしたが)、
「日本人なら日本人とつきあえよ!!」
という、お言葉を頂いたことがあります。
あと、前を歩いていた人が、何度もこちらを振り返り、じろじろという視線を感じるほど見られたこともあります。
21世紀もだいぶ過ぎましたが、色々な人がいると言うことはいつの時代もあるようですw
そんなZ自身も、電車で外国人を見ると
「あ、外国人だ・・・・・・・俺もか」
とハッとするそうな。
日本生活2年を過ぎると、こうなるものなのね(笑)