「私は海外に行くことが日常にあることが私の人生なのだから(と私が決めた)、それを探していってみよう」
という一文を上記の記事で書きました。
こう開き直るまで、結構な時間がかかったな、と思います。
もともと、私にとって、海外に行く気持ちは、いつも「逃げたい」という気持ちとセットでしたから、どこかで罪悪感と恐れがありました。
『サラとソロモン』風に言うと、閉塞感とそれから抜け出したい苦しみという電気が付いているのに、解放感を感じること=この場合は海外に行くこと、は矛盾してしまいます。
本の中で、サラが空を飛びたい理由をソロモンに問われたとき、サラは最初飛べないことがいかに辛いかを延々と述べて、ソロモンにナイス突っ込みを頂く場面があります。
苦しんでいるときに海外に行くことを考えている私は、そのサラそのものでした。
ここからは、
「逃げたいし、海外に行けばもうそれは追ってこないし、日本にいればそれに関わらざるを得ないし・・・・」
「そりゃ、行きたい理由ちゃうで。居たくない理由を言っているだけや」
「ぬへっ!!??」
私のソロモンは・・・・アルパカか。。。(しかも大阪弁)
この会話スタイルは以下の記事を参考にしています。
各国の文化は素敵だと思いますが、私は特に日本が嫌い〜はありません。
※まぁ、ギリシャヨーグルトを大容量で売ってくれよ・・・とは常々思います。断固主張!!
「なんで、こう苦しいの?ソロモン・・・」
「知らんがな」
「!!!! ががーん・・・・」
「ワイが知るはずないがな。ももえだけしか分からへんのやで?」
「え・・・?」
「海外に行くことで解消されると思っていた嫌な気持ち、全然変わらへんかったんやろ?実際に世界中の何処にいても、自分は付いてくるやん。嫌な気持ちのももえが世界の果てまで行ったって、そりゃ変わらへんで。いっつも自分がいるんやもん」
「・・・・たしかに。今のままアマゾンを駆け抜けても、不安な状況は変わらなそうだ」
「いっつも言うてるやん。外側の状況が自分の幸福を決めるわけちゃう、って。海外でも日本でも、どこでもええんやで。どこも良いとこも悪いとこもある。それってつまり、どこが良いかを決めるのはももえだけってことや」
「・・・・・」
「そもそも、ももえが海外に行くことを考えだした時って、どんな自分を考えてたん?さっきからももえは、日本に居続けて怖いことだけ話してるんやで?」
「ぬぬっ・・・。自由な自分を考えてたよ、そもそも」
「自由な自分って?」
「・・・・・・自分を信じている自分デス」
「もうちょい、詳しく」
「どこにいっても色々起こるでしょう?でもそのとき、自分のやれることをやって、あとは腹を決めて日常を楽しめる自分のこと。あと、そういう自分を異国でやれたら、もっと自信つくかなって思う・・・」
「ほら、ちょっとずつ見えてきた。そういう自分でいるのってどうや?」
「すごく、安心する。落ち着いて穏やかなんだけど力強い自分というか・・・」
「それでええやん。それがももえが望んでる自分なんや。それが一番大事なことで、異国かどうかは、その次のことなんや。だから、ただ海外に行っても不安なだけだったんや。海外に行ったらそれが満たされると思ってたんやろ?順番が逆や」
「じゃあ、海外に行くことは無意味なの?」
「ちゃうちゃう、ただ、どっちでもいいんや。海外を考えたとき、どんな気持ちがするん?」
「うーん・・・やっぱりワクワクする。歩き易いバレエシューズで、お気に入りのスーツケースで恋人と待ち合わせしている国際空港で何が起こっても楽しんでやろうっていうイメージ」
「じゃあ、意味あるやん。ワクワクするんやろ?今は海外を考えたとき、逃げたいとか不安とかやなくて、ワクワクをベースで話してることに気付いてる?」
「あ、そうだ」
「それで、ええんやで〜。あと「逃げたい」と「罪悪感」の関係なんやけど・・・」
「ぎくっ。。。」
「ま、それは今度にしよか。宿題やで」
「・・・・はい」
なんでアルパカになったのか、謎ですが、大阪弁とも京都弁とも分からないこのアルパカとの脳内会話は、なかなか楽しいです。
そうなんですよね、やりたいことを考えているはずが、嫌なことを考えてしまっていると、引き寄せどうこうより、とにかく、まぁ、
楽しくない。
叶うかどうかは分かりませんが、自分を辛くさせてどうするよ?という話ですね。